珍しくまぶらほがラノベ感想の大手サイトで取り上げられていたので。

http://www.maijar.org/word/tukibetu/200511_1.htm#051110(まいじゃー推進委員会さん)
から
http://d.hatena.ne.jp/giolum/20051111(後天性無気力症候群さん)
メイドの巻も読んでみようかな。
後天性無気力症候群さんのまぶらほ元々は長編が本編のはずだったのではないかという解説は納得できる部分が多いんですが。

 コミカルな連載分を優先することでシリアスなストーリーを失っていった(いや、まだ完全に失ったとは言いきるのは乱暴ですが)「まぶらほ」はライトノベルにおける「物語の喪失」を体現している作品かも知れません。

っていうのはそこまで言わなくてもいいんじゃないですかね。まぶらほの長編がフルメタの長編並に面白ければ望まれてたと思うし。
でも「物語の喪失」を読者の要望に添う形での作品を展開した結果と考えればそのとおりかも。ここで長編が望まれるような作品が書けなかった作者を責めるのと、作者(編集)は読者の要望は抑えてでも作者のやりたいようにやった方が最終的により面白いものが読めるはずだっていうのではどっちが有意義なんですかね。
というか夕菜の行き過ぎたDVぶりとか2Bの連中の反省のしなさっぷりとかとても読者の要望にそって書いてるとは思えないですけど。あれはドラゴンマガジン読者層はすごく望んでたりするんですかね。
いや、そうじゃなくて出来が多少アレでもシリアスな話は書いたほうがいいのかって話。書いたほうがいいんでしょうが、その辺は読者に決められてしまうのかも。だから「物語の喪失」につながる、のか?